エドガーを殺めんとする刃は、届かなかった。
絶好機と思われる状況こそがエドガーたちが作り上げた罠だったことに気づく間もなく、刺客は鮮血の花を咲かせ倒れた。
エドガーの艶然とした笑みと、見るものを凍りつかせるようなシャドウの眼差しとを冥土の土産として。

しくじったな、とシャドウの心に浮かぶのは、暗殺者を撃退できた高揚感ではなかった。
返り血をあびるなど、鈍ったものだ。濡れて温かかったはずの左半身はあっという間に冷えて、肌に張り付く布地が不快感を呼ぶ。
まだこんなに日が高いのに風呂と着替えが必要になるとは面倒なことだ、とため息をひとつ。
慣れ親しんだはずの鉄錆と潮のにおいに、眩暈がしそうだった。

部屋に戻って湯を使おう。
血に濡れて落ちてきた前髪をかきあげようとするシャドウの左手をそっと掴み、その代わりにエドガーが頬に掛かった髪をかきあげながら汚れを拭う。

「おいで」

汚れるのにも構わずエドガーはシャドウの手を引いて部屋をあとにし、シャドウは黙って付いていく。
掃除の手筈が整っていることもあり、二人とも部屋の汚れには一瞥もくれない。
人払いが済んでいるから、誰にも見られることはなかった。

エドガーの引く手は温かく足取りは軽い。繋いだ手から、どことなく浮かれているのが感じられる。
目の前で起きた惨劇など、死んだ相手が敵であるならばどうと言うことはない。
なれた日常。ましてや、そうなるように仕組んでいたならなおさら。



「ここだよ」

ドアを開けると心なしかしっとりとして甘い空気が流れる。
様々な園芸用品がおかれた小さな部屋の向こうにはもう一枚透明な引き戸があって、そのさらに向こうに広く明るい部屋がある。
明かり取りの天窓がひとつ。
天窓というより、天井の半分が硝子でできていると言ってもいいほどだ。
南中を過ぎて、真上を見上げても直接太陽は見えない。
外はいい天気で雲も少なく、柔らかな日差しが降り注いでいる。
三方の壁は幾何学模様状にところどころ穴が開けられていて、風が通り抜けるような作りだ。
広々とした部屋を埋めるように、色とりどりの花や観葉植物、果実の成る木の鉢などが整然と並んでいる。
庭園がそのまま温室になったようだった。
季節も生育場所もバラバラなはずの植物たちは存分に陽を浴びて輝き、今が盛りと花を咲かせ葉を繁らせ、訪れるものを待っている。
こんな場所が、このフィガロ城内に有るとは。

「……ここは?」
「秘密の花園」

ウインクとともに告げられた言葉には詮索など無意味だ。
部屋の中央部分は床より一段掘り下げてあり、植物に水をやるための水道が引かれ、水捌けがよい床材が使われている。
日差しを避けるためだろうパラソルが一本立っていたが、今は閉じられていてその下にバスタブがある。
シャワーと蛇口が独立していて一度に両方から湯が出る作りはさすがフィガロと言うところだろう。
砂漠のまっただなかにありながら、水に不自由しないとは。
猫足ならぬチョコボ足のバスタブは一般男性にしたら少々小さめだろう。
一人入ればあまり余裕はなく、肩まで浸かるには膝を少し曲げなければならないようだ。
それにしても、温室にバスタブ? ベンチではないのか?

「さ、脱いで」
「……ここで?」

うきうきとした表情で脱衣を促されるが、目隠しのパーテーションもなければ脱いだ服を入れる籠すらない。
エドガーの前で裸になるのに抵抗は無いが、ここで服を脱いでもいいものかとシャドウは思案する。
確かにバスタブはあるが、本来の意味で使うための物なのだろうか?

「そうだよ。もうその服は着られないから捨ててしまおう。部屋のすみに穴があるから」
地下のごみ捨て場まで一直線らしい。
植物の世話には多くのごみが出るだろうから合理的というべきか。
「洗えばいいだろう」
汚れた服は 『 こういう時用 』 で、多少汚れても目立たない。
「そりゃあお前は気にしないだろうけど、俺は嫌だな。他の男のせいで汚れた服を洗ってまで恋人に着せてるなんて」
拗ねたような物言いに、思わず笑みがこぼれる。
「……新しい服は用意してくれるんだろうな?」

今着ている服には、それなりに愛着がある。
理由としては、血に染まったところで目立たないというのがひとつ。恋人から贈られたからというのがひとつ。

「もちろんだ」
そんな会話をしつつ、まぁいいかとシャドウはシャツのボタンをはずし、エドガーは上着を脱いで金の髪をまとめ始めた。
「なんでお前も脱いでいるんだ」
「一緒に入るから」

ここは本当に浴室なのだと実感したが、すでに上半身裸になっていたシャドウは、手に持っていた上着を再び身に付けようとする。

「冗談だよ」
苦笑いをしながら慌ててエドガーは止めに入る。
「俺と一緒に風呂に入るくらいなら汚れた服着るって、そんなに嫌?」
困り顔のエドガーに
「先に言われていたら最初から脱いでいないくらいには」

などと少し大袈裟に答えるシャドウだった。
大の男が二人で一緒に、というにはあまりに狭すぎる。
せっかく湯に浸かるならば足くらいは伸ばしたい。
目の前で裸になるのも一緒に湯船に浸かるのも抵抗はないが、窮屈なのは御免こうむる。

「そう言うと思ったよ。せめて、髪くらい洗わせてくれないか?」
冗談だというのは、ダメ元だがあわよくば、ということらしい。
「髪?」
「これ、洗ったら落ちるんだろう?」

汚れなかった側の髪の毛をエドガーの指が撫でる。
本来ならプラチナブロンドであるシャドウの髪は、 『 目立ちすぎる 』 という理由で普段は簡易的とはいえ黒く染めていることが多い。
恐らく城内の人間は、黒髪のシャドウしか知らない。
ごく稀に素の彼を見かけた者は、シャドウとは別人だと思っているかもしれない。

「ただ洗っても落ちないぞ。専用の洗剤がある」
「抜かりはないぞ」

エドガーが嬉々として指差す方向には見慣れた洗髪剤。もう 『 嫌だ 』 と言う理由がなくなってしまった。
ため息をひとつ。
おねだり上手な恋人に、本当は、そんな恋人に弱い自分に。
「……服に付いたら落ちないからな」
「了解」
いそいそと支度を始めるエドガーだった。



湯が張られていくバスタブを横目に、エドガーがシャドウの背後に立ちシャワーで全身を流していく。
ややうつむき加減のシャドウの目は時おり開くが、足元を流れる湯の色になんの感慨もない。
先程あったことなど、もう何の色もついていない湯と一緒にすっかり流れ去っていった。

シャドウは両足と両腕をバスタブの縁に引っかけて湯に浸かる。
エドガーの手によりこの温室で咲いていた花を浮かべられた湯は、いい香りがした。
思わず漏れ出た吐息で、自分が案外高揚していたことにシャドウは気づく。
戦闘とは言えないまでも、久し振りの 『 仕事 』 だった。
あっさり片付いたわりには疲労感が大きく、やはり鈍っているのだろうか。
歳のせいだと言われればそんな気がしないでもない。

エドガーがシャドウの頭を包み込み、バスタブの縁に置いたクッションがわりのタオルに導いて、洗髪剤を泡立てる。
二の腕までしっかり腕捲りをし、裸足で、足元も膝まで裾を捲っているエドガーは、どう見ても王様には見えない。
他人の体を洗うような立場ではないのにこんな姿を家来たちに見られたら、きっと大目玉を食らうのではないだろうか。
でもそんなことがどうでも良くなるくらい、エドガーの指は心地よかった。微睡みを誘うほどに。
指の動きは強弱巧みで、額の生え際から耳の後ろを包み込み、マッサージしながらシャドウの頭を洗う。
時折、痒いところはないかだの、湯の温度はどうかなど訊かれた気がしたがほとんど夢心地で、まともに答えられたか覚えていない。
それほど小さな頭をしているわけではないのに、エドガーの手のひらはすっぽりとシャドウの頭部を包み込んだ。

「眠ったか? 流すから、そのまま目を閉じていてくれ」

その声に、意識がふわりと浮上する。
仰向けの額から掛けられる湯の温度も、髪を撫でていくエドガーの指もこれ以上なく快適で、そう言えば他人に髪を洗われるのは初めてだったなと気づく。
そしてもう、エドガー以外の人間に触れられたくはないと思う。

「終わったよ。どうかな? 洗い残しはない?」
「ああ」

タオルで軽く水気を拭き取られてようやく目を開けると、頭のそばに腰掛けて半身になり、ずいぶん満足げな表情を浮かべたエドガーと目が合った。
彼の瞳に写る自分の姿が見える距離だ。
シャドウの髪は元のプラチナブロンドを取り戻し、その輝きにエドガーは目を細め、手櫛を止めない。

天井からの光でエドガーの見事なハニーブロンドはいっそう輝き、彼自身が光を放っているかのようにシャドウには見えた。
しっかり結わえられていたはずの金の髪が一房ほつれて、シャドウの顔の脇に音もなく降りてくる。

エドガーの、はちみつ色の金の髪。
空よりも青いトパーズブルーの瞳。
上気した頬と、柔らかく微笑み色づく唇。
この場のどの花よりも美しく、蠱惑的で、甘い。

降りた金糸を指に纏わせながらエドガーの耳を掠め、髪を纏めていたブルーのリボンをしゅるりとほどくと音もなくエドガーの長い髪がバスタブ内に落ちて、金のカーテンが広がる。
シャドウはリボンを指に絡めたまま両手でエドガーを引き寄せつつ伸びをして、その唇に吸い付く。
あたかも蜜に引き寄せられた蝶のように。

まだ、たりない。

『 さ、脱いで 』
かつてエドガーが告げたその言葉に、幾ばくかの色をのせて音にする。
「……仰せのままに」




ふたたびのくちづけ。そのあとのことは、花たちだけが知っている。






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